みなさんはヤマト王権と邪馬台国の違いを知っていますか?
ヤマト王権は古墳時代、邪馬台国は弥生時代にできた国ですが、時代が近いので混同してしまう人も多いでしょう。
そこで、本記事では【ヤマト王権と邪馬台国の違い】について解説します。
それぞれの政治のリーダーや成立した場所などの違いを比較しながら見ていきましょう。
国をまとめるリーダーの違い
ヤマト王権と邪馬台国では政治を進めたリーダーに違いがあります。
それぞれの時代にどんなリーダーがいたのか、重要な手がかりである書物を参考に見ていきましょう。
邪馬台国をまとめた卑弥呼
邪馬台国のリーダーは卑弥呼と呼ばれる女王です。
卑弥呼に夫や子どもはおらず、卑弥呼の弟が政治の手伝いをしていました。
「ひめみこ」と呼ばれていた可能性がありますが、生まれや名前などの詳しいことはまだわかっていません。
卑弥呼がおこなった政治について
謎が多い卑弥呼ですが、民衆の前に姿をあらわしたことは一度もなく、鬼道という宗教や占いで政治をおこないました。
鬼道がどんな宗教だったのか詳しい内容は残されていませんが、毎日神様に祈りを捧げ、お告げを民衆に伝えていたようです。
天候を予知できたという話も…。
弥生時代では米つくりが盛んだったので、いつ雨が降るのか予測できたら便利ですね。
卑弥呼が亡くなった後に男性の王が邪馬台国をまとめましたが、内乱が発生してしまいます。
その後、卑弥呼のように神のお告げを聞ける「壱与」と呼ばれる女性が王になり、国内の争いは落ち着きました。
【魏志倭人伝】邪馬台国に繋がる書物
邪馬台国を知るために重要な書物が、3世紀末に書かれた「魏志倭人伝」です。
魏とは古代の中国にあった王朝の名前です。
魏志倭人伝に登場する邪馬台国の情報を分かりやすくまとめました。
- 弥生時代の日本は100個ほどの国に分かれ、卑弥呼はそのうちの30国をまとめていた
- 卑弥呼が日本で初めて魏に使者を送った
- 親魏倭王の金印と銅鏡100枚を卑弥呼からもらった
卑弥呼は魏という強い味方を得て、魏からも女王として認められました。
ヤマト王権をまとめた大王
ヤマト王権のリーダーは大王と呼ばれ、民衆から頼りにされていました。
時代が進むと、大王は天皇と呼ばれるようになり、国や民衆をまとめていくことになります。
国をまとめる大王をサポートしていたのが、豪族という存在です。
豪族とは、土地や財産を持っている支配者を指します。
豪族は自分たちで私兵を持っていたため、お金持ちで強い力を持っていました。
大王がおこなった政治について
大王は氏姓制度を作り、都の周辺と地方に有力な豪族たちを配置しました。
氏とは血の繋がりにもとづいた集団のグループ名、姓とは大王に与えられた政治的な地位や役職を意味します。
代表的な氏 | 蘇我氏、物部氏、大友氏 |
代表的な姓 | 臣、連 |
大王の次に重要な役職である大臣や大連には、都の近くに住んでいる有力豪族が担当します。
次の大王をきめるときは豪族の考えが優先されるほど、豪族はかなり強い影響力を持っていたのでしょう。
占いで政治をしていた卑弥呼と違い、ヤマト王権は法律や武力を使って民衆をまとめていました。
【日本書紀】ヤマト王権に繋がる書物
ヤマト王権について記録されている日本書紀は、奈良時代に書かれた日本でもっとも古い歴史書です。
全部で30巻あり、初代の天皇である神武天皇から奈良時代の持統天皇について詳しくまとめられています。
5世紀後半から6世紀にかけて、ヤマト王権に史と呼ばれる書記官が登場します。
多くの書記官は外国から来た渡来人で、文字で書物に記録する文化は渡来人によって伝わりました。
当時の日本は朝鮮半島にあった百済という国からさまざまな文化を取り入れていました。
ヤマト王権と邪馬台国が成立した場所の違い
ヤマト王権と邪馬台国の成立した場所にはさまざまな説があるため、ここでは代表的な説をあげていきます。
邪馬台国があった場所
邪馬台国があったのは2世紀〜3世紀頃の弥生時代です。
これまで邪馬台国がどこにあったかははっきりわかっていませんが、専門家によると畿内説と九州北部説の2つが有力といわれています。
奈良県桜井市で箸墓古墳が見つかり、畿内説の方が優勢のようです。
2009年の調査で、箸墓古墳は卑弥呼の墓なのでは?と新たな発見がありました。
箸墓古墳は3世紀後半頃に作られた他の古墳に比べて非常に大きいのが特徴です。
卑弥呼が亡くなった時期に作られたのではないかと話題になりました。
ヤマト王権があった場所
ヤマト王権は3世紀後半〜7世紀頃の古墳時代から飛鳥時代に成立しました。
奈良県を中心にヤマト王権が開かれ、中でも奈良県南部の大和川周辺に作られた可能性高いようです。
大和川周辺には、ヤマト王権があった時代の特徴である大規模な古墳が多く見られます。
また大和川周辺には三輪山があり、山のふもとにあることから「やまと」と呼ばれた説もあります。
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まとめ
本記事では【ヤマト王権と邪馬台国の違い】につい解説しましたが、いかがでしたか?
邪馬台国は卑弥呼という女王が占いで政治を進め、その後も卑弥呼と同じ女性が国をまとめています。
一方で、ヤマト王権は大王が豪族のサポートを受けながら国をまとめ、後に天皇と呼ばれるようになりました。
現在でも謎が多い邪馬台国とヤマト王権ですが、1つずつ掘り下げていくと新たな発見に繋がるかもしれませんね。
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