歴史や時代劇などで耳にすることもある「老中」という言葉。
みなさんは老中についてどれぐらい知っていますか?
今回は江戸時代の政治を語るうえで欠かせない【老中の役職や仕事内容】などを簡単に解説します。
さらに、有名な老中の田沼意次についても紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。
老中とはどのような役職なのか
老中は江戸時代に幕府の政策や組織を取りまとめていた役職です。
幕府のトップである将軍に次ぐ2番目に強い権力を持っていました。
老中は将軍のように1人ではなく、4~5人が選ばれ、月ごとに交代で老中としての役割を担当します。
また、重要な議題を老中が会議をして決めることもあり、リーダー格の「老中首座」がほかの老中をまとめることもあります。
政策や決め事を老中が議論・判断をして取りまとめ、将軍が最終的な判断をするというのが江戸幕府の政治の仕組みでした。
幕府の政治と聞くと、全て将軍が決めていると思われますが、実際にはそうではなかったんですね。
現在と江戸幕府の政治は異なる部分が多いため比較することは難しいですが、老中は現代の総理大臣に近い役割をしていました。
江戸幕府の政治において老中は欠かせない存在だったんだ。
仕事以外でも大変!?老中の仕事を紹介
幕府の中で高い権力を持ち、政策を取りまとめていた老中。
とても大変な仕事のようにも思えますが、どのような仕事をしていたのでしょうか?
老中が江戸城内で働いている時間は、午前10時から午後2時ごろまででした。
現代の仕事の勤務時間に比べると短いですが、老中の仕事の範囲は広く、様々です。
城内の老中の仕事の一部を紹介します。
- 幕府の主要組織のまとめ役
- 各藩の大名との情報伝達や仲介役
また、勤務時間外の早朝から多くの大名や商人と面談し、要望を聞いて政策に取り入れることも。
ちなみに、自分の領地をおさめながら老中の仕事をする人も多くいました。
老中には多くの補佐や調整役がいるため、全てを1人で行っているわけではありませんが、大変な仕事であったことは間違いないでしょう。
老中の屋敷の前には、お願い事を聞いてもらおうと多くの人が列を作ったそうだよ。
老中になるための条件とは
老中は幕府の政策を決定する立場であり、誰でもなれるわけではありません。
基本的に老中になれる人は譜代大名に限られ、石高も2万5千石以上と定められていました。
譜代大名は徳川家に古くから仕える武士で、幕府の重要な役職は信頼できる人を選びたいという思いがあったのでしょう。
石高は名の経済力や納める領地の国力を表します。
石高が多いほど、大名の権力が強いと言われていました。
中には譜代大名以外でも仕事ぶりが認められ、老中の役職を任されることも。
世の中を変えた老中:田沼意次
江戸幕府の歴史の中でも田沼意次は有名な老中です。
田沼意次は幕府に使える家の長男として生まれました。
優秀な仕事ぶりを評価され、将軍:徳川家治の側近を務めた後、相良藩の藩主になり老中に出世します。
当時の江戸幕府の財政は厳しく、田沼意次は幕府の政策を農業中心から商業中心へと転換させました。
田沼意次が行った他の政策はコチラ。
- 新たな資源開発
- 蝦夷地の開拓
- 外国との貿易
商業を中心に政策を行ったことで、富が生まれ、商人を中心に景気が回復し、新しい文化が生まれるきっかけにもなりました。
順調に思えた田沼意次の政策ですが、次第に商人たちからの「わいろ」が増え、商業中心の政策に農民の不満が高まります。
さらに浅間山の噴火による大凶作と飢饉で多くの人が亡くなり、田沼意次は民衆からの信頼を失ってしまいました。
これまでの政治の常識をうち破る大胆な経済政策が行なわれた時代は「田沼時代」とも呼ばれ、老中の歴史の中でも大きな影響を与えた人物です。
汚職のイメージもある田沼意次だけど、政策を再評価する意見もあるそうだよ。
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まとめ
本記事では【老中の仕事内容や老中になるための条件】を簡単にまとめました。
幕府の政治を取りまとめていた老中は、世の中にとって重要な役職だったと言えますね。
江戸時代の政治は将軍だけではなく老中にも注目することで、どのような時代だったのかをより深く知ることができるかもしれません。
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