古代の日本には「空白の4世紀」と呼ばれる時代があるのをご存じでしょう?
実は、空白の4世紀の間のできごとや人々の暮らしについては、現在でも解明されていません。
そんな空白の4世紀がどんな時代だったのか、なぜ「空白」と呼ばれているのか、気になりますね。
そこで本記事では【空白の4世紀とそう呼ばれている理由】についてまとめました。
当時の古墳からもヒントを得ながら、空白の4世紀について一緒に探っていきましょう。
空白の4世紀とは?
空白の4世紀とは、歴史のできごとや人々の暮らしなどがハッキリと解明されていない時期のこと。
日本の歴史では、3世紀後半から5世紀初めまでの期間です。
空白の4世紀はその年数から「空白の150年」とも呼ばれています。
空白の期間は邪馬台国の時代から倭の五王までの時代までです。
4世紀前後の3世紀から5世紀にかけては、倭国(現在の日本)の状況は大きく変わっています。
空白と聞くと、まるでミステリーみたいでワクワクする!
なぜ4世紀のできごとが分かっていないのかな?
空白の4世紀と呼ばれる理由
空白の4世紀と呼ばれている理由は、当時の倭国の記録が全く残っていないからです。
当時の倭国にはまだ文字がなかったため、記録を残せなかったと言われています。
当時の倭国についての記録は、中国の歴史書にのみ残されています。
しかし、中国の史料でも空白の4世紀の倭国に関する記録がなく、邪馬台国からヤマト王権への移行などが分かっていません。
そのため、日本において「空白の4世紀」と呼ばれているのです。
空白の4世紀の前後を記録した中国の歴史書
空白の4世紀につながる時代が書かれた中国の歴史書は以下の2つです。
- 魏志倭人伝
- 宋書倭国伝
どんな記録が残っているのか、1つずつ詳しく見ていきましょう。
魏志倭人伝
魏志倭人伝には3世紀の倭国について、以下の内容が書かれています。
- 倭国で争いが多発していた
- 倭の王たちが邪馬台国の卑弥呼を立て、邪馬台国を中心とする約30国の連合体をつくった
- 卑弥呼は239年に魏に使いを送り「親魏倭王」の称号と金印、銅鏡をもらった
- 邪馬台国には身分の差や政治のルール、刑罰の制度があった
- 邪馬台国では税が徴収され交易も行われていた
しかし、邪馬台国以降は中国の歴史書に倭国は登場しません。
空白の4世紀に関わる倭国の様子は謎に包まれています。
宋書倭国伝
5世紀の倭国を記録したのが、宋書倭国伝。
宋書倭国伝には、5世紀に倭国の五王が、宋に朝貢(外国の使いがやって来て、貢物を差し出すこと)を行なったと記載がありました。
五王は宋の皇帝に認められ、倭国内を安定させようとしていたと考えられています。
倭の五王とは、讃・珍・済・興・武のことです。
3世紀・5世紀の記録は残っているのに、4世紀の倭国については中国の史料にも記録が残っていないのは不思議ですね。
考えられる理由は2つあります。
- 4世紀の中国は倭国を重要視していなかった
- 地球の寒冷化の時代で、記録している場合ではなかった
中国の歴史書でも記録が残っていないとは…。
空白の4世紀を解明できる日は来るのでしょうか?
空白の4世紀を推測できる古墳の出土品
4世紀の倭国についての記録は残っていませんが、古墳の出土品から当時を推測できます。
古墳の出土品からは、4世紀の倭国が外国との交流をしていたことが分かります。
ここでは、古墳から見つかった鉄剣と馬の骨を紹介します。
鉄剣
2023年、奈良県の富雄丸山古墳から「蛇行剣」という巨大な鉄剣が発掘されました。
出土した鉄剣からは、4世紀に倭国が外交活動で鉄を手に入れていたことが分かります。
蛇行剣はヤマト王権の安泰を願って埋められた鉄剣。
「蛇行剣」は長さ2.37mの東アジア最大の鉄剣で、古代史を塗り替える大発見でした。
当時、中国や朝鮮半島から鉄が伝わり、鍬や鋤、釣り針や斧などの鉄もヤマト王権の力の源でした。
さらに、2022年に韓国でも空白の4世紀の解明につながる複数の古墳が発見されています。
副葬品には倭国が使用していた道具によく似た鉄製の甲冑、やじりなどが多くありました。
埋葬された人が倭国の装飾品を身につけていたため、倭人のだと墓とされています。
古墳から出てきた鉄剣によって、4世紀ごろの倭国が鉄を手に入れるために中国や朝鮮半島と交流していたことが分かります。
馬の骨
古墳から出土した馬の骨からも、倭国が外国と交流していたことが分かります。
倭国は鉄以外に朝鮮半島から馬も手に入れていて、近畿地方の古墳からは甲冑や馬の骨が出土しています。
倭国は、4世紀終わりから5世紀に掛けて朝鮮半島の高句麗という国と戦っていました。
もともと高句麗は馬を使って戦っていましたが、倭国も朝鮮半島から馬を手に入れて戦いに使うようになります。
その後、倭国は騎馬軍団で高句麗を破っています。
邪馬台国の後にくる空白の4世紀では、中国や朝鮮半島との関わりで鉄や馬などの技術を獲得し、暮らしを豊かにしていたことが推測できます。
後に、ヤマト王権が誕生して倭の五王の時代に移っていくのです。
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まとめ
今回は、謎が多い【空白の4世紀とそう呼ばれている理由】について解説しました。
空白の4世紀にあった倭国に関する記録は残っていませんが、古墳の出土品から当時の様子を想像できます。
古墳の出土品から考えると、空白の4世紀では外国との交流で得た鉄剣や馬を使って生活していたのかもしれませんね。
今後の発掘調査によって、空白の4世紀につながる新たな発見と解明を期待しましょう。
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