奇兵隊はどんな組織だった?戊辰戦争で活躍した人物についても紹介!

江戸時代

世の中が大きく変わろうとしていた幕末の時代に「奇兵隊」は誕生しました。

奇兵隊は江戸幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争で活躍しましたが、一体どんな組織だったのでしょうか?

今回は、【戊辰戦争で活躍した奇兵隊がどんな組織だったのか】について解説していきます。

さらに、戊辰戦争で活躍した人物や明治時代でも名を残した元奇兵隊についても紹介しているので、ぜひ最後までご覧ください。

奇兵隊とはどんな組織だった?

奇兵隊は1863年に長州藩(現在の山口県)で、高杉晋作たかすぎしんさくによって結成されました。

まずは、奇兵隊が結成されるまでの流れを説明します。

奇兵隊が結成されるまでの流れ

当時の日本はペリー来航をきっかけに、多くの外国船が貿易をするために日本に来るようになります。

しかし、外国とのやり取りを不満を持つ者も多く、特に長州藩は外国人を敵とみなして打ち払う「攘夷じょうい」の考え方が根強くありました。

長州藩は攘夷の名のもとに関門海峡を封鎖すると、付近の外国船に対して海岸から砲撃を行なったのです。

攘夷の活動によって、一時的には外国船を追い払うことに成功しますが、長州藩は外国船団による仕返し(報復)を受けてしまいます。

コト史
コト史

外国からの報復で力の差を見せつけられた長州藩は考え方を変え、外国の力を取り入れようとするんだ。

そこで、外国船からの攻撃に備えが必要だと感じた高杉晋作は奇兵隊」を結成したのでした。

奇兵隊という組織について

奇兵隊への入隊は武士に限らず、農民や町人も受け入れられました。

武士だけで編成される正規の部隊ではないため、「奇兵」と名付けられたとか。

コト子
コト子

身分制度が厳しかった江戸時代に、町人と武士が同じ部隊に入るというのは画期的なことですね。

外国船から防衛するために作られた奇兵隊でしたが、その他に多くの戦いに参加して戦果をあげることになります。

また奇兵隊をきっかけに、長州藩内では身分を問わず参加できる混成部隊が数多く作られました。

コト史
コト史

さまざまな人々を集めて軍隊を作るというのは、西洋の考え方を取り入れたものだったんだよ。

奇兵隊を作った高杉晋作とは?

奇兵隊を作った高杉晋作とはどのような人物だったのでしょうか?

高杉晋作は長州藩士のもとで生まれ、吉田松陰よしだしょういんが開いていた松下村塾しょうかそんじゅくで学びます。

その後は長崎や上海しゃんはいへ渡って海外の現状について勉強し、帰国すると攘夷運動に参加していきます。

コト子
コト子

海外に渡り、欧米諸国の侵略に危機感を抱いたことも、高杉晋作の攘夷運動に影響を与えたんですね。

長州藩内の勢力争いで高杉晋作が奇兵隊を率いて戦い、長州藩を討幕派でまとめ上げていきます

さらに高杉晋作は軍艦に乗って戦闘を指揮するなど、長州藩内では軍事における重要な人物として活躍しています。

新たな世の中を作るために活動していた高杉晋作でしたが、彼が明治の世を見ることはありませんでした。

コト史
コト史

高杉晋作は戊辰戦争の前に、病で亡くなってしまうんだ。

戊辰戦争で活躍した奇兵隊

奇兵隊は薩摩・長州・土佐を中心とした「新政府軍」の重要な戦力となり、幕末の多くの戦いに参加しています。

旧幕府軍との戦いである戊辰戦争もその1つです。

戊辰戦争の初戦となった鳥羽・伏見とば・ふしみの戦いで勝利をおさめた後、各地を転戦しました。

鳥羽・伏見の戦いで勝利し、京都から東へと進軍した新政府軍と奇兵隊は、旧幕府軍を支持する長岡藩とも戦闘を行ないます。

コト子
コト子

長岡藩との戦いは北越戦争ほくえつせんそうと呼ばれています。

長岡藩も外国から購入した最新の装備で新政府軍らを迎え撃ったため、激しい戦闘となりました。

北越戦争の際、新政府軍を指揮していたのは奇兵隊に参加していた山縣有朋やまがたありともでした。

西洋式の装備と実践的な訓練を行なっていた奇兵隊は、戊辰戦争における大きな戦力となったのです。

Cさん
Cさん

「武士じゃなくても戦いに勝利できる」という事実は、現代の同じような境遇で戦う人の励みになるね。

奇兵隊出身の人物を紹介

奇兵隊として幕末を戦い抜き、明治を迎えて新政府の要職についた人物を紹介しましょう。

  • 山縣有朋やまがたありとも…明治維新のあと、陸軍の創設に携わる。また内閣総理大臣、内務大臣などを任命される。
  • 山口素臣やまぐちもとおみ…明治の軍人で陸軍大将。数多くの戦闘を指揮して活躍した。
  • 滋野清彦しげのきよひこ…明治の軍人で陸軍の中将。佐賀の乱や西南戦争で活躍。
  • 飯田俊助いいだとしすけ…明治の軍人で陸軍の中将。日露戦争で活躍した。
コト史
コト史

初代内閣総理大臣の伊藤博文いとうひろぶみも奇兵隊の支隊を率いていたんだ。

戊辰戦争後の奇兵隊

戊辰戦争が終わり、日本は明治時代を迎えます。

戊辰戦争を戦い抜いた奇兵隊は長州藩へ戻りますが、活躍に見合うような見返りを得られたのはごく一部の隊士のみでした。

その他の人々は兵士の仕事を失うことになり、一部では反乱を計画する者もいたとか。

元奇兵隊の一部が起こした反乱は農民も巻き込んだ大規模なもので、鎮圧までに数か月を要する事態となりました。

コト子
コト子

反乱軍といっても戊辰戦争を戦った歴戦の元隊士ですから、長州藩もかなり手を焼いたみたいですね。


こちらの記事もおすすめ✨

まとめ

今回は【戊辰戦争で活躍した奇兵隊がどんな組織だったのか】について紹介しました。

奇兵隊は西洋式の考え方を土台として、実力重視で兵を集めていたのが分かりましたね。

そして、高杉晋作のように柔軟な発想ができるリーダーがいたことも、奇兵隊を知るうえで重要な手がかりになります。

奇兵隊によって「戦いとは武士が行うもの」という今までの常識が破られ、明治維新をもたらす原動力となっていったのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました