江戸幕府の15代全ての将軍を一覧で紹介!政策や時代の背景も解説!

江戸時代

天下を統一した徳川家康によって開かれた江戸幕府。

家康が亡くなった後、江戸幕府を長期間にわたって支えていたのは、徳川家代々の将軍です。

そんな徳川家の将軍たちは、どのような政策をしたのでしょうか。

本記事では【江戸幕府で活躍した徳川家15代の将軍たち】を一覧でまとめています。

15代の将軍たちの政策や時代背景も分かりやすく解説しているので、ぜひチェックしてみてくださいね!

そもそも江戸幕府とは?

1603年、関ヶ原せきがはらの戦いに勝利した徳川家康が将軍となり、江戸幕府を開きます。

江戸に幕府を開いた理由は、京都にある朝廷から離れて政治をするためでした。

コト子
コト子

幕府とは、将軍を中心に武士が政治をおこなう場所です。

江戸幕府は、15代目の将軍である徳川慶喜とくがわよしのぶの時代まで約260年間も続きます。

歴史が長いだけではなく、平和な時代でもあった江戸幕府。

江戸幕府の長い時代は以下の4つの時代に分けることができます。

武断政治ぶだんせいじの時代(初代:家康いえやすから3代:家光いえみつまで)
文治政治ぶんちせいじの時代(4代:家綱いえつなから7代:家継いえつぐまで)
幕政改革ばくせいかいかくの時代(8代:吉宗よしむねから12代:家慶いえよしまで)
幕末ばくまつの時代(13代:家定いえさだから15代:慶喜よしのぶまで)

江戸幕府の初代から15代目までの将軍一覧

江戸幕府の初代ら15代目までの将軍と、それぞれの時代を一覧にまとめました。

初代 徳川家康いえやす 武断政治の時代
2代目 徳川秀忠ひでただ
3代目 徳川家光いえみつ
4代目 徳川家綱いえつな 文治政治の時代
5代目 徳川綱吉つなよし
6代目 徳川家宣いえのぶ
7代目 徳川家継いえつぐ
8代目 徳川吉宗よしむね 幕政改革の時代
9代目 徳川家重いえしげ
10代目 徳川家治いえはる
11代目 徳川家斉いえなり
12代目 徳川家慶いえよし
13代目 徳川家定いえさだ 幕末の時代
14代目 徳川家茂いえもち
15代目 徳川慶喜よしのぶ

初代から15代目までの徳川家の将軍がおこなった政策や時代の背景を詳しく見ていきましょう。

武断政治の時代

武断政治の時代は、武力によって強引に政治がおこなわれた時代。

コト子
コト子

江戸幕府では、初代の徳川家康から3代目の徳川家光までの時代になります。

【初代】徳川家康(いえやす)

徳川家康は三河国みかわのくに(現在の愛知県)で生まれ、幼いころは今川家の人質でした。

激しい戦国時代を生き抜き、将軍になって江戸幕府を開きます。

わずか2年で将軍の職を息子の秀忠ひでただにゆずりますが、その後も大御所おおごしょ(会長みたいな役職)のような存在で政治に関わっていたのです。

【2代目】徳川秀忠(ひでただ)

徳川家康の三男である秀忠は、父の築いた江戸幕府の方針をしっかり守りました。

コト史
コト史

11歳のころ、豊臣秀吉から一字をもらい、秀忠と名乗るようになります。

大名たちへの罰則ばっそく土地の入れ替えなどをおこなって、幕府の体制を強くしました。

【3代目】徳川家光(いえみつ)

徳川秀忠の次男である家光は病弱でした。

身体が弱い家光を家臣が助け、将軍が先頭に立たない幕府の政治がはじまったのです。

家光の時代には、江戸幕府の基礎となる3つの制度が決まりました。

  • キリスト教の禁止
  • 鎖国(外国との関わりを持たないこと)
  • 参勤交代(江戸と地方を大名が行き来する)
コト史
コト史

秀忠と家光は、家康の意志を受け継いで江戸幕府を完成させたんだよ。

文治政治の時代

文治政治の時代は、学問や教育を重視する政治が行われました。

以前までの強引な武断政治が見直された時代といえます。

コト子
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江戸幕府では、4代徳川家綱から7代徳川家継までの時代です。

【4代目】徳川家綱(いえつな)

家光の後継ぎの長男であった家綱も病弱だったため、家臣が代わりに政治を行っていました。

家臣の意見をきちんと聞き、素直に受け入れる心優しい性格だったと言われています。

【5代目】徳川綱吉(つなよし)

家光の四男である綱吉は勉強が好きで、さまざまな学問を周りの人にすすめていました。

また、綱吉は動物をむやみに殺すことを禁止する法律「生類憐しょうるいあわれみのれい」を作ります。

コト子
コト子

おかげで「犬公方いぬくぼう」と呼ばれていました。

【6代目】徳川家宣(いえのぶ)

綱吉の養子である家宣は将軍になり、「生類憐しょうるいあわれみのれい」を廃止します。

家宣は、家臣の間部詮房まなべあきふさ新井白石あらいはくせきなどの優秀な人材を受け入れて政治をしました。

しかし、将軍になってわずか3年で病気で亡くなってしまうのです。

【7代目】徳川家継(いえつぐ)

家宣の四男である家継は、父の急死にともない4歳で将軍になります。

政治は父の代から仕えている間部詮房まなべあきふさ新井白石あらいはくせきが中心となっておこないました。

4歳で将軍になった家継は、わずか8歳でこの世を去ります。

コト史
コト史

文治政治の頃の将軍は、リーダーから象徴(シンボル)のような存在に変わっていきました。

幕政改革の時代

幕政改革の時代はお金や政治などが見直され、大きな3つの改革が行われた時代です。

幕政時代に行われた3つの改革はこちら。

享保きょうほうの改革(8代吉宗よしむねの時代)
寛政かんせいの改革(11代家斉いえなりの時代)
天保てんぽうの改革(12代家慶いえよしの時代)

コト子
コト子

江戸幕府では、8代徳川吉宗から12代徳川家慶までの時代になります。

【8代目】徳川吉宗(よしむね)

徳川吉宗は、紀州きしゅう(現在の和歌山県)藩主の四男。

お金に困っていた紀州藩を立て直し、高い評価を受けて8代目の将軍に就任します。

吉宗は自らリーダーとなり、「享保の改革」を行いました。

【9代目】徳川家重(いえしげ)

吉宗の後継ぎの長男である家重は、幼い頃から病弱で言語障害がありました。

将軍に就任しますが、吉宗のような政治はできず、大御所おおごしょとなった吉宗や家臣たちが支えていました。

【10代目】徳川家治(いえはる)

家治は、家重の後継ぎの長男です。

家重の時代から江戸幕府を支えている田沼意次たぬまおきつぐが政治を行いました。

土地を新しくして田畑を広げたり、お金の制度を決めたりと、他にも文化や芸術にも大きな発展があった時代です。

【11代目】徳川家斉(いえなり)

家斉は、一橋家ひとつばしけ出身で15歳で将軍になります。

家斉を支えた松平定信まつだいらさだのぶによって「寛政の改革」が行われました。

コト史
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家斉には側室が40人近くいて、55人の子どもが生まれたと言われています。

【12代目】徳川家慶(いえよし)

家慶は家斉の次男で、45歳で将軍になります。

家臣の水野忠邦みずのただくにによる「天保の改革」が始まりますが、国内の動きが次第に悪くなり、外国との問題が少しずつ出てきました。

コト史
コト史

家慶の時代は、後継ぎやお金の問題、自然災害などの様々なトラブルが起きて、幕府が傾きはじめていたんだよ。

幕末の時代

幕末は、日本に来た外国の勢力をおさえながら、江戸幕府を倒そうとする動きが高まった時代です。

コト子
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江戸幕府では、13代徳川家定から15代徳川慶喜までの時代になります。

【13代目】徳川家定(いえさだ)

家定は家慶の四男で、病弱で身体に障害がありました。

コト子
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家定は勉強が好きだったみたいですよ。

アメリカのペリー来航によって国内が混乱するなか、将軍の後継ぎ問題が起きます。

家定は家臣の井伊直弼いいなおすけに後を任せて35歳で亡くなりました。

【14代目】徳川家茂(いえもち)

家茂は4歳で紀州藩主となり、13歳で将軍になりました。

コト史
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家茂はとても真面目な人物だったみたい。

朝廷と幕府が協力して政治をしようとしたため、家茂は天皇の娘である和宮かずのみやと結婚します。

政治や外国との問題が積み上がるなか、家茂は21歳で亡くなりました。

【15代目】徳川慶喜(よしのぶ)

慶喜は、水戸藩主:徳川斉昭とくがわなりあきの子で一橋家当主でした。

家茂と将軍の職を争い、15代将軍に就なりますが、国内の激しい騒動を止めることはできませんでした。

慶喜は「大政奉還たいせいほうかん」(政治の権利を朝廷に返すこと)をして、260年続いた江戸幕府を終わりにします。

コト史
コト史

慶喜は江戸幕府は終わっても、徳川家は滅ぼしてはいけないという気持ちがあったようです。


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まとめ

今回は【江戸幕府で活躍した徳川家15代の将軍たち】について紹介しました。

江戸幕府は徳川家の人が将軍となり、5代目:綱吉や8代目:吉宗など大きな改革を行った人物もいましたね。

江戸幕府で活躍した将軍を1人ずつ見てみると、新たな発見ができます。

本記事をぜひ参考にしながら、江戸幕府を舞台にしたドラマをご覧になってください。

江戸幕府の時代背景や将軍の理解が深まり、より楽しめること間違いなしです。

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