日本には、姫路城や熊本城など現在も残っている有名な城がたくさんあります。
城ごとに天守閣のデザインや設備などは違いますが、ほとんどが安土桃山時代の城を原型に作られたと言われています。
そこで今回は、城の原型を作った【安土桃山時代の魅力的な建築文化】をご紹介しましょう。
さらに、同じ時代に人気が出た「茶室」の建築についても解説していきますので、ぜひ最後までご覧ください。
日本が誇る城の文化「城郭建築」とは
「城郭建築」は、天守閣や堀などがある建物を指します。
日本の城をイメージするとき、下のような城をイメージする人が多いでしょう。
この城も城郭建築で建てられました。
高い石垣と水が張られた堀、何段も積み重なった高い建物が「城郭建築」の特徴になります。
平地に城が作られた理由
安土桃山時代より前は、敵の侵入を防ぐために険しい山の中に城が作られました。
各地で大名が争う戦国時代に入ると、武将:織田信長は戦いに勝つには経済的な豊かさが必要だと考えます。
織田信長が平地に安土城を建築したことで、人や物の流れが良くなり、城下町ができました。
城下町の民衆から年貢を集めることもできますね。
平地の城にはメリットもありますが、敵が侵入しやすいというデメリットもあるため、敵の攻撃を防ぐ工夫と、権力を表すデザインが必要になりました。
よって、今までの城にないデザインである「天守閣」が作られたのです。
天守閣が持つ3つの役割
天守閣が作られた理由はこちら。
-
- 城の外を見渡すため
- 非常事態に備えるため
- 城の飾り
天守閣は、景色を楽しむための「展望台」や、敵の侵入を見張る「司令塔」、民衆に城の凄さを伝える役割を果たしていました。
ちなみに大阪の陣が終わってからは、大きな戦いがなくなったため、天守閣はただの飾りになりました。
城郭建築の有名な城3選
城郭建築で有名な3つの城とそれぞれの歴史について紹介します。
安土城
織田信長は1577年に安土城を建築しました。
安土城は初めて城郭建築を採用した豪華な城だったと言われています。
琵琶湖を見渡せて、交通の便が良い土地に建てられた安土城ですが、意外な最後を迎えます。
1582年に起こった本能寺の変から半月もせずに安土城の天主が焼失し、城全体が廃城になってしまうのです。
完成からたった6年でなくなってしまいました。
当時の安土城を見ることができないのは残念ですが、滋賀県は2018年度から安土城復元プロジェクトを始めています。
安土城とは一体どんな城だったか、調査結果を元にデジタル技術を活用して現代に復元させようとしているのです。
バーチャル空間で安土城の姿を見られるように、2025年にはスマートフォンアプリも公開される予定です。
謎に包まれている安土城が見られるようになるまで、もうすぐですね。
大阪城
大阪城は1585年に完成します。
当時の大阪は港町として栄えており、日本一豊かな土地でした。
信長は安土城の次に大阪に城を建築しようと夢見ていましたが、本能寺の変で命を落とします。
その夢を引き継いだのが豊臣秀吉でした。
安土城をより豪華な大阪城は、当時日本に来ていた宣教師を驚かせ、感動させます。
大阪冬の陣・夏の陣の舞台となった大阪城は、当時の戦いで大きく破壊されてしまいました。
現在の大阪城は、徳川幕府が城を埋め立てて新しく作り直した城です。
徳川幕府は跡地に新しい城を作ることで、世の中は徳川の時代に代わったと主張したかったのかもしれません。
姫路城
姫路城は1931年に国宝に指定され、1993年にはユネスコの世界遺産に登録されました。
1577年、豊臣秀吉が中国地方を攻めたときに、黒田官兵衛から姫路城を譲られました。
豊臣秀吉は姫路城を改装し、4階建ての天守閣を完成させます。
1609年、姫路城の城主となった池田輝政によって立て直しが行われました。
高校生の時に姫路城の天守閣に登ったことがあります。
足の裏の半分くらいの幅の急な階段をおそるおそる友達と登り、窓から一瞬だけ外を覗くと、天守閣から城全体を見渡すことができました。
高いところが苦手な私はほんの一瞬しか見られなかったのですが、もっとちゃんと見ておけばよかったと今は残念に思っています。
安土桃山時代で人気になった茶室の建築
安土桃山時代に茶室でお茶を楽しむ「茶の湯」が流行しました。
当時の大名にとって、高価な茶の道具は自慢になりました。
また、大名はパーティーのような派手な茶会を開いていたとか。
千利休は茶道による心の落ち着きを大切にしていたので、派手な茶会に不信感を持ちました。
千利休が作った茶室の「妙喜庵待庵」にも、落ち着きを大切にする精神があらわれています。
そんな待庵には、建築する際に千利休がこだわった2つのポイントがあります。
- 茶室の小さい出入口
- せまい茶室
それぞれ詳しく見ていきましょう。
茶室の小さい出入り口
茶室にはお客さん用の小さな出入り口「にじり口」があり、千利休が最初に作りました。
にじり口の高さは約70センチメートル、幅は約67センチメートルで、小学校の机とだいたい同じサイズです。
大人が入るにはせまいですね。
にじり口は小さいので、どんなに偉い大名でも頭を下げないと茶室に入ることができません。
身分に関係なく、全員が平等であることを示すために、にじり口が小さく作られているのです。
せまい茶室
待庵は茶室の広さが畳2畳分で、大人が寝転がって腕を伸ばすと手と足が壁に触れられるくらいのサイズです。
お茶を入れる主人と客が一対一で向き合い、一緒にお茶を楽しみたいという思いが詰まっています。
千利休は全員が平等に茶道を楽しめるように、工夫したのが分かりますね。
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まとめ
今回は【安土桃山時代の魅力的な建築文化】を紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
安土桃山時代の建築は時代が変わっても受け継がれ、作った人の強い想いが込められていることが分かりましたね。
今回は城と茶室を中心にご紹介しましたが、他の歴史上の建物を見てみると、安土桃山時代の建築文化が元になっているかもしれません。
気になった人は、ぜひ図書館や資料館に足を運んで調べてみてくださいね。
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