日本が戦国時代のころ、外国からキリスト教の宣教師が日本に訪れます。
宣教師や信者たちは「キリシタン」と呼ばれ、当時の幕府からは警戒されていました。
幕府はなぜキリシタンを恐れ、キリスト教を禁止にしたのでしょう?
今回は【キリシタンの歴史とキリスト教が禁止された理由】について紹介します。
キリスト教が日本に伝わったのはいつ?
キリスト教が日本に伝わったのは1549年、日本が戦国時代のころ。
有名な宣教師のフランシスコ・ザビエルが種子島に上陸した際に、日本にキリスト教が伝わります。
ザビエルをはじめとする宣教師の布教活動をきっかけに、わずか数か月で500人を超える日本人がキリシタンになりました。
キリスト教徒となった大名たちは、「キリシタン大名」と呼ばれるようになりました。
この当時、日本で積極的に布教活動をしていた国はスペインやポルトガルだったんだ。
スペインやポルトガルとの貿易によって、日本はさまざまな技術や品物を手に入れます。
国内にキリシタンが増える一方で、豊臣秀吉や徳川家康は危機感を抱くようになりました。
キリスト教が禁止になった理由
江戸幕府を開いた徳川家康はキリスト教を最初は許していましたが、最終的に規制を強くして禁止しました。
以下ではキリスト教が禁止になった理由を3つ解説します。
外国からの支配をおそれた
スペインやポルトガルなどと貿易を行なう際には宣教師も同行し、その土地でキリスト教を布教することが条件となっていました。
キリスト教が日本に広まるにつれて、江戸幕府は日本がキリスト教によって侵略されるのではないかと危機感を持ち始めたのです。
戦国時代には宣教師のグループ「イエズス会」が長崎を管理することに…。
そのため、幕府はキリスト教をきっかけに日本が外国から侵略されることを恐れていたんだ。
キリシタン大名が力をつけてきた
戦国時代に広まったキリスト教によって、キリスト教に入信した大名たち(キリシタン大名)も増えていました。
外国との貿易を行なうためにキリスト教に入信した大名もおり、キリシタン大名の中には貿易による利益を得て力をつける者も多くいました。
外国との貿易はさまざまな利益が得られ、鉄砲や弾など武器を手に入れられるのが大きな魅力だったのよ。
国を治める幕府としては、地方の大名が力をつけていくことに強い危機感を持ちます。
また、権力を持つ者がキリシタンになることで、幕府よりもキリスト教に従おうとするケースもありました。
キリシタン大名がおさめる領地では、お寺や神社が破壊されるトラブルも起きていたんだ。
キリシタンが反乱を起こした
江戸幕府はキリシタンになった人々が反乱を起こすのではと恐れます。
戦国時代には一向一揆のような宗教徒による大規模な反乱も起こっており、宗教をきっかけとした反乱の危険性は江戸幕府も十分に理解していました。
キリスト教の教えは江戸時代の身分制度とは合わない部分もあり、国内の秩序が乱れてしまうおそれもあったんだ。
1637年にはキリスト教徒の反乱で有名な「島原の乱」が起こり、幕府の心配は現実のものとなってしまいます。
キリシタンたちの反乱!島原の乱
1637年、キリスト教の弾圧を強めていた江戸幕府に反発したキリシタンたちが反乱を起こします。
キリシタンの天草四郎を総大将とした一揆:島原の乱です。
キリスト教を規制した幕府が原因で起こった島原の乱ですが、他にも理由があるのよ。
- 人々に重い税が課せられていた
- 作物が育たず、食べるものがない時期が続いた
江戸幕府は島原の乱を鎮圧したあと、日本国内でのキリスト教を完全に禁止します。
もちろん宣教師による布教活動も禁止され、すでに日本への来航を禁止したスペインに加え、ポルトガルの来航も禁止になります。
それ以来、江戸幕府が貿易を行なう国はキリスト教の布教活動を行わないオランダや中国のみとなり、鎖国体制が完成されていくのです。
鎖国することで貿易できないデメリットはあるけど、それ以上にキリスト教に危機感を抱いていたのね。
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まとめ
今回は、【キリシタンの歴史とキリスト教が禁止された理由】について紹介しました。
フランシスコ・ザビエルによってもたらされたキリスト教は日本に広まり、キリシタンの人数が爆発的に増えます。
その影響力ゆえに幕府からも警戒され、禁止になったキリスト教。
もし、江戸幕府が鎖国政策をとっていなければ、日本人の宗教に対する現在の価値観は変わっていたかもしれませんね。
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