歴代のアメリカ大統領の中でも人気が高いリンカーン大統領。
「リンカーン」という名前は知っていても、彼が具体的に何した人なのかは知らない人もいるのではないでしょうか。
そこで、今回は【リンカーン大統領が何した人なのか】を簡単に解説しましょう。
本記事を読めば、あなたもリンカーン大統領のファンになるかもしれませんよ。
リンカーン大統領はどんな人?
リンカーンはアメリカ合衆国の第16代大統領になった人物です。
歴代大統領の中で特に人気が高く、アメリカの5ドル紙幣にも描かれています。
決して裕福とは言えない開拓民の家に生まれたリンカーンは、様々な仕事を経て地方の議員となりました。
それと並行して独学で弁護士の資格を取得し、弁護士として活動していた時期もあります。
挫折も経験しながら、自身の力でアメリカ大統領になったリンカーン大統領は、現在もアメリカ国民の希望になっています。
リンカーン大統領の言葉に「あなたが転んだことに関心はない。そこから起き上がることに関心があるのだ」というものがあります。
これはまさにリンカーンの半生を象徴するような言葉です。
リンカーン大統領がおこなった政策
リンカーン大統領がおこなった政策をいくつか簡単に解説します。
【政策1】奴隷制度の廃止をすすめる
リンカーン大統領の最も大きな功績は奴隷制度の廃止です。
長い間奴隷制度に頼ってきたアメリカの歴史を変えることは重要な課題でした。
イギリスではアメリカより先に奴隷制度が廃止されていたので、奴隷制度自体が国際的に批判されはじめていたんだ。
しかし、奴隷制度の廃止をアメリカで実現するのは簡単なことではありませんでした。
特に、経済などで奴隷に頼ってきたアメリカ南部からの反発は激しく、アメリカ北部と南部の関係が悪化。
争いはどんどん大きくなり、南北戦争へと突入していきます。
リンカーン大統領は当初、奴隷制をすぐに無くすのではなく時間をかけて廃止していく方針を打ち出していました。
【政策2】南北戦争で北軍の指揮をとる
南北戦争が始まると、リンカーン大統領は北軍の最高司令官として軍の指揮をとりました。
リンカーン大統領を含む北軍側は決して安全だったわけではなく、はじめは南軍が優勢だったとか。
激戦地となったゲティスバーグでは北軍が南軍を破り、形勢が逆転します。
その後に行ったゲティスバーグでの演説で、リンカーン大統領は有名な「人民の人民による人民のための政治」という言葉を残しているよ。
4年にわたる南北戦争は北軍の勝利で終わりました。
【政策3】ホームステッド法を公布する
ホームステッド法は南北戦争中に公布された法律で、西部開拓を目的として作られました。
この法律によって、開拓者は国の土地を無料で借りられるようになったのです。
さらに、国から借りた土地に5年以上住んだ人は、その土地を所有できるという決まりで、土地の広さは東京ドーム14個分にもなりました。
ホームステッド法の影響で多くの農民の支持を得ることができ、北軍に協力する人が増えました。
当時はアメリカで自分の土地を持つことを夢見ていた人がたくさんいたんだ。
【政策4】奴隷解放宣言をおこなう
奴隷解放宣言は南北戦争中にリンカーン大統領がおこなった宣言です。
内容は、北軍に敵対する州の奴隷は即時に解放されるというもの。
奴隷解放宣言は北軍が南北戦争で有利な状況をつくるための宣言でした。
国民の支持を多く集めた奴隷解放宣言は南軍の国際的な立場を弱くさせるなどの効果もありました。
奴隷解放宣言でリンカーン大統領が本気で奴隷を解放したいという強い姿勢を世界に示すことができたのです。
南北戦争の後、奴隷の解放については憲法にも書かれ、アメリカで正式に奴隷が禁止されました。
もし南北戦争の結果が変わっていたら、奴隷の在り方はもちろん、アメリカがひとつの国ではなかったかもしれません。
リンカーン大統領の最期
リンカーン大統領は婦人と演劇を見に行った際に、男に背後から銃で撃たれ、この世を去ってしまいます。
犯人は南軍を支持する俳優で、暗殺は計画的に行われました。
リンカーン大統領の暗殺事件はアメリカ国内で衝撃的な事件として扱われ、数十万人が彼の死を悲しみました。
リンカーン大統領の暗殺は、アメリカで初めて大統領が暗殺された事件でした。
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まとめ
今回は、【リンカーン大統領が何した人なのか】を簡単に解説しましたが、いかがでしたか?
リンカーン大統領は軍事・政治の両方でリーダーシップをとり、奴隷解放を実現した人物でした。
様々な素晴らしい功績を残したリンカーン大統領が人気が高いのも納得できますね。
リンカーン大統領の歴史を知ることで、ワシントンD.C.にあるリンカーン記念堂や関連する本などをより深く楽しめるでしょう。
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