今から200年以上前、南米ではヨーロッパの植民地となった国が多く存在していました。
そんな南米でヨーロッパ軍と戦い、多くの国々を解放したのがシモン・ボリバルです。
本記事では、【シモン・ボリバルの人物像とその活躍】について解説していきます。
シモン・ボリバルが英雄と呼ばれる理由を一緒に探っていきましょう。
シモン・ボリバルはどんな人?
まずは、シモン・ボリバルの幼少期~解放活動を始めるまでを見ていきましょう。
また、彼の人柄が分かるエピソードも紹介します。
幼少期から結婚を経験するまで
シモン・ボリバルは、1783年にスペインの植民地だったベネズエラで生まれました。
裕福なクリオーリョの家系に生まれたシモン・ボリバルは、子どものころから高い教育を受けて育ちます。
クリオーリョとは、南米に移り住んだスペイン人の子孫のことです。
ただ、スペインでは十分に権利が認められていませんでした。
シモン・ボリバルは16歳になると勉強のためにスペインへと渡り、19歳の時に結婚しますが、妻はすぐに他界します。
その後、シモン・ボリバルと他のクリオーリョが中心となり、植民地解放の活動を行います。
シモン・ボリバルの人柄を表すエピソード
シモン・ボリバルがどんな人物だったのか分かるエピソードを紹介します。
- 豪快な誓い
シモン・ボリバルはイタリアのローマを訪れた際に、「南アメリカをスペインの支配から解放するまで休まない」と誓ったと言われています。彼はこの誓いを忠実に守り、南米の国々の独立を達成しました。 - 多言語の天才
ボリバルはスペイン語だけでなく、フランス語と英語も話せました。特にフランス語は彼の国際的な交渉や交流において重要な言語でした。
強い意志と素晴らしい頭脳があったから、多くの国々を解放できたんだね!
シモン・ボリバルの解放活動について
時代の移り変わりでスペインの力が弱っていくと、ナポレオン率いるフランス軍がスペインを攻撃します。
スペインの植民地支配は弱まり、これを独立のチャンスと見たシモン・ボリバルは南米各国の独立へ動き出すのです。
ベネズエラで独立運動を開始したシモン・ボリバルは独立宣言を出します。
しかし、首都カラカスは大地震に襲われ、隙を狙ったスペイン軍から攻撃を受けることに…。
カラカスからの撤退を余儀なくされます。
スペインの攻撃を受けたシモン・ボリバルですが、何度やられても立ち上がる不屈の精神で、南米を独立へと導いていくのです。
軍事をまとめつつ、戦いにも参加していたシモン・ボリバルは「南アメリカ解放の父」と尊敬されています。
シモン・ボリバルが独立させた国
シモン・ボリバルが植民地から解放した国は5つです。
- ベネズエラ…正式名称はベネズエラ・ボリバル共和国。通貨の単位にもシモン・ボリバルの名が使われている。
- コロンビア…植民地からの解放後も数度国名が変わり、1886年に現在の国名になる。
- エクアドル…大コロンビア共和国の一部となる。
- ペルー…解放後にシモン・ボリバルが大統領に就任する。
- ボリビア…国名の由来はボリバル。ペルーと同時期に解放され、シモン・ボリバルが大統領となる。
解放した国の大統領にもなっていたんだね!
大コロンビア共和国の大統領になったシモン・ボリバル
シモン・ボリバルは、南米の植民地がそれぞれ独立するのではなく、領土を統一してひとつの国を作ることを目指していました。
南米にアメリカのような大きな国を作って、ヨーロッパの支配に対抗しようとしたんだ。
シモン・ボリバルは大コロンビア共和国の大統領となると、その後も植民地解放のための戦いを続け、ペルーやボリビアもスペインから解放します。
その後、大コロンビア・ペルー・ボリビアの3か国の大統領になりました。
ただし、ボリビアでの大統領はすぐに部下に任せています。
パナマ会議と大コロンビア共和国の崩壊
独立を果たした南米の国々ですが、国としての力はまだ弱く、またいつスペイン軍に攻め込まれるとも限りません。
シモン・ボリバルは独立した南米の安定と安全保障を求めて、パナマ会議を開催します。
パナマ会議で南米の連携を呼びかけますが、参加したのは下記の4か国のみ。
- 大コロンビア共和国
- ペルー
- メキシコ
- 中央アメリカ連邦
南米には、大コロンビア共和国が影響力を強めることをよく思っていない国もありました。
最終的に、シモン・ボリバルの「南米を1つの国にする」という理想はかないませんでした。
その後、大コロンビア共和国では内戦が始まり、大コロンビアは崩壊・分裂してしまうのです。
シモン・ボリバルがつくった大コロンビア共和国は12年で終わりを迎えました。
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まとめ
今回は、【シモン・ボリバルの人物像とその活躍】について紹介しました。
シモン・ボリバルは南米の独立だけではなく、ヨーロッパの国々の攻撃に備えて国を1つにまとめようとしました。
最終的には上手くいきませんでしたが、彼が救った人の数は計り知れません。
彼がいなかったら、現在ある南米の国々もなかったかもしれませんね。
シモン・ボリバルは、まさに南米の英雄と呼べる人物でしょう。
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