3世紀後半、ヤマト王権の時代に前方後円墳と呼ばれる古墳が出現します。
前方後円墳は非常に大きなサイズが特徴ですが、他の古墳と具体的に何がちがうのでしょうか?
本記事では【前方後円墳の特徴と作られた理由】を解説します。
ヤマト王権の豪族と前方後円墳の関係も分かりやすく解説しているので、ぜひチェックしてみてくださいね!
【はじめに】ヤマト王権と豪族の関係
ヤマト王権とは、3世紀後半以降から大和地方(現在の奈良県)を中心にできた大きな連合勢力。
日本で初めて統一国家を作ったのはヤマト王権です。
ヤマト王権には複数の別名があり、ヤマト政権や倭王権など呼ばれています。また、ヤマト王権の政府は大和朝廷といいます。
豪族というムラやクニの支配者がヤマト王権を作り、トップは大王と呼ばれていました。
大王は氏姓制度をつくるなどの様々な政策をして、力が強い豪族たちをまとめ上げていました。
ヤマト王権には未解明な歴史がありますが、中国の漢書地理志、後漢書東夷伝、魏志倭人伝に記録が残っています。
当時の日本を統一していたヤマト王権と深い関係がある前方後円墳について、詳しく見ていきましょう。
前方後円墳の特徴と作られた理由
古墳とは豪族などの権力者が亡くなったときに作られた大きなお墓のことです。
古墳には多くの種類があり、形や大きさも様々です。
前方後円墳のほかに、丸い形をした円墳、四角い形の方墳などがあります。
ここからは、前方後円墳の特徴と作られた理由について解説します。
前方後円墳の特徴
前方後円墳は、前方が四角形で後方が円になっており、鍵穴のような形をしています。
特徴的な形と大きさは、統一国家を築いたヤマト王権の力を表していました。
前方後円墳の周りには石が敷き詰められ、埴輪などの副葬品が置かれていました。
また、内部には石室や木棺などの埋葬施設があり、後円部に王族や権力者が埋葬されています。
前方後円墳が作られた理由
前方後円墳が作られた理由は以下の通りです。
- ヤマト王権の力を他の地域へ示すため
- 死んだ後も自分の力を示すため
- 亡くなった人や神様、祖先を敬うため
古墳時代から、自分の存在を歴史に残すという考えがあったんですね!
前方後円墳は豪族のお墓のイメージが強いですが、神様や祖先を祀るための特別な場所でもありました。
前方後円墳に置かれた副葬品の種類
前方後円墳の周りや内部に埴輪と呼ばれる焼き物が置かれています。
副葬品は亡くなった人と一緒にお墓の中に入れるもので、豪族の権力や財力を示すものもありました。
前方後円墳に置かれた副葬品の種類を紹介します。
- 埴輪…古墳の周辺を飾るためにつくられた土製の焼きもの。人や動物、家などをかたどった形象埴輪と土管状の円筒埴輪に分けられます。
- 銅鏡…青銅でできた鏡は権力者が持つ道具でした。
- 勾玉…ヒスイやメノウ、ガラスなどでできているアクセサリー。魔除けのお守り。
- 鉄剣…武人をまつった古墳から出土することがあります。
内部の棺には副葬品の馬具、武具なども納められていました。
代表的な前方後円墳を紹介
数ある前方後円墳のなかで世界遺産に登録されている大仙陵古墳は、全長486mもある日本最大の古墳です。
大仙陵古墳は周囲に濠があり、その周りを歩いて1周すると40分もかかります。
ちなみに、クフ王のピラミッドや始皇帝のお墓よりも大きく、約2千人の人々が毎日働いても、完成には15年以上もかかったと言われています。
代表的な前方後円墳を時期に分けて見てみましょう。
前期の前方後円墳(3世紀後半〜4世紀後半)
ホケノ山古墳 | 奈良県桜井市 |
箸墓古墳 | 奈良県桜井市 |
浦間茶臼山古墳 | 岡山県岡山市 |
石塚山古墳 | 福岡県苅田町 |
黒塚古墳 | 奈良県天理市 |
中期の前方後円墳(4世紀後半〜5世紀後半)
誉田御廟山古墳 | 大阪府羽曳野市 |
大山陵古墳 | 大阪府堺市 (仁徳天皇陵) |
太田天神山古墳 | 群馬県太田市 |
造山古墳 | 岡山県岡山市 |
後期の前方後円墳(6世紀〜7世紀)
五条野丸山古墳 | 奈良県橿原市 |
岩戸山古墳 | 福岡県八女市 |
日本各地に前方後円墳があるので、気になった人はぜひ足を運んでみてくださいね。
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まとめ
今回はヤマト王権と深い関わりがある【前方後円墳の特徴と作られた理由】について解説しました。
大和地方にいくつもある前方後円墳は、ヤマト王権の豪族が力を示す大きな墓です。
前方後円墳の全体を上空から見ると、当時の豪族が持つ力がどれほど強かったか想像できます。
実際の前方後円墳を目の前で見ることで、圧倒的な大きさを感じて楽しめるでしょう。
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