幕末の時代、倒幕の動きが強まる一方で、会津藩は幕府を支えようと白虎隊をつくります。
幕末の悲劇と語られる白虎隊はドラマや映画のモデルになることが多く、名前を知っている人も多いでしょう。
今回は【白虎隊が歩んだ歴史と最後のようす】について、ご紹介します。
白虎隊の歴史を振り返り、彼らが残した足跡をたどってみましょう。
白虎隊をつくった会津藩と幕府の関係
白虎隊を生んだ会津藩(現在の福島県)は、江戸幕府を強く尊敬しており、どのようなことがあっても支える姿勢を見せていました。
そんな会津藩を江戸幕府も信頼し、幕末には京都を守る役割(京都守護職)を藩主:松平容保に任せます。
京都は朝廷があったほか、薩摩藩や長州藩など倒幕勢力の動きが活発化している場所でもありました。
京都を監視し、薩摩や長州の動きをおさえるために、信頼のおける部下を配置する必要があったのです。
また、会津藩には「会津家訓15ヶ条」と呼ばれる藩内で守るべきルールがありました。
会津家訓15ヶ条には幕府に対する尊敬の心や、不正を許さない武士道の精神が厳しく書かれています。
会津藩を守るために結成された白虎隊とは
幕末になると旧幕府軍と新政府軍による戊辰戦争が始まります。
会津藩は旧幕府軍として戦いますが、戊辰戦争の初戦である鳥羽・伏見の戦いで敗北してしまいます。
その後、新政府軍は各地で勝利を重ねていき、会津藩のある東北まで攻めてきました。
会津藩は自分たちの藩を守るために、白虎隊を含む年齢別に分けた隊を作ります。
白虎隊のほかにも玄武隊・朱雀隊・青龍隊などの部隊が作られたんだ。
白虎隊には16、17歳の武士たちが集められ、年齢的にまだ若かった彼らは主に城や城下町の警備を担当していました。
しかし、新政府軍が攻めてくると会津藩は不利な状況が続き、白虎隊も戦争に巻き込まれていきます。
白虎隊は結成当初、兵として戦う予定ではなかったんです。
白虎隊も学んだ会津藩の教育
会津藩の子どもは6歳になると、「什」と呼ばれる学校と遊び場を合わせた集まりに参加します。
什には「什のおきて」があり、子どもたちはその教えを守りながら武士道の精神を学んでいきました。
白虎隊も「什のおきて」を学んで成長していったのね。
会津藩の子どもたちに影響を与えた「什のおきて」の一部をご紹介します。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
一、ならぬことはならぬものです。
最後の「ならぬことはならぬものです」は、どんな理屈や事情があっても、いけないものはいけないという強い意志が込められています。
「什のおきて」を現代版に置きかえたものが「あいづっこ宣言」です。
現在でも会津若松市で使われています。
白虎隊の悲劇
白虎隊の士中二番隊は、戦いの中で悲劇的な結末をたどります。
士中二番隊は新政府軍が会津藩へと押し寄せたとき、藩主の護衛をしていました。
しかし会津藩の兵力が足りず、戦いに参加します。
士中二番隊は新政府軍を相手に勇敢に戦いますが、新政府軍の持つ最新式の兵器にはかないません。
城に撤退しようとしますが途中で敵の攻撃を受けて、3キロほど離れた飯盛山に逃げます。
そこで士中二番隊が目にしたのは、守るべき城のある方向から炎があがっている光景。
彼らは城に戻るか、ここで新政府軍と戦うかを話し合います。
負傷者や体力のない者もいるなか、生きて敵につかまることを恥と考えた彼らは、その場で自刃(自ら命を絶つこと)してしまうのでした。
現在、飯盛山では慰霊祭が行われ、白虎隊のお墓参りをする人も多くいます。
白虎隊の悲劇から生き残った人物
悲劇的な結末をたどった白虎隊の士中二番隊ですが、飯沼貞吉という生き残った人物がいます。
飯沼貞吉は自刃して飯盛山で倒れているところを救助され、奇跡的に一命をとりとめました。
その後、回復した飯沼貞吉は明治になると電信技士として活躍し、日清戦争にも参加しています。
飯沼貞吉は1931年に76歳で亡くなりますが、白虎隊については限られた一部の人にしか語りませんでした。
現代になって、白虎隊に関する資料が見つかっています。
当時はあまり知られていなかった白虎隊の様子が少しずつ知られるようになってきました。
こちらの記事もおすすめ✨
まとめ
今回は【白虎隊が歩んだ歴史と最後のようす】についてご紹介しました。
会津藩で生まれた白虎隊は、子どもの頃から幕府を支える武士になるために日々学んでいました。
白虎隊は悲劇の結末をたどりますが、若い武士たちにも武士道の精神がしっかりと根づいていたことが分かりますね。
武士としての白虎隊の生きざまは、今も会津の人たちの心に深く刻まれていることでしょう。
コメント