明治時代に起きた「日清戦争」は、日本が初めて外国と戦った戦争です。
相手は大きな大陸の清(現在の中国)でしたが、最終的には日本が勝利しました。
当時は外国のほうが力が強いと言われていたのに、日本はなぜ勝てたのでしょうか。
今回は【日清戦争がいつ始まってなぜ勝てたのか】について解説します。
さらに、日清戦争のが終わった後の日本のようすも紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。
日清戦争はいつ始まった?
日清戦争は1894年7月25日から始まります。
1894年は明治27年を指し、日本は外国の文化を取り入れて、近代的な国を目指している途中でした。
また、政治の中心が幕府から新政府に変わり、現在の日本の土台が少しずつ作られていた時代でもあります。
当時の主なできごとはこちら。
・明治18年…伊藤博文が初代内閣総理大臣になる。
・明治22年…大日本帝国憲法が宣言される。
戦いが始まった翌年、1895年4月17日に日清戦争は日本の勝利で終わりました。
日清戦争はなぜ起こった?
日清戦争は、日本と清による朝鮮半島の取り合いが原因で起こります。
幕末の時代から、日本は外国の強さに対する恐怖心や、アジアが侵略されるのではないかと大きな不安を持っていました。
日本は、国の力を強くしてヨーロッパやアメリカに対抗しようしたんだ。
その手始めに、朝鮮半島や清などの周辺の国への影響力が重要と考えたみたい。
日本の隣にある朝鮮半島は、清からの強い圧力を受けていました。
しかし、日本は朝鮮半島をいずれ支配したいと考えて、清から独立させようとします。
朝鮮半島では清と日本のどちらにつくのかで意見が分かれ、農民による反乱(甲午農民戦争)が起こってしまいます。
朝鮮政府は農民の反乱を止めるために、清に軍隊の派遣をお願いしますが、その動きを警戒した日本も朝鮮に軍隊を送りました。
清と日本が朝鮮を支配したいという思惑がぶつかった結果、日清戦争が始まってしまいます。
ちなみに、日清戦争は朝鮮半島や遼東半島、黄海などが主な戦地になり、日本や清国は戦場になりませんでした。
日清戦争で日本はなぜ勝てた?
清は国の面積が広く、軍隊の人数も多いのに、日本はなぜ勝てたのでしょうか?
日本が日清戦争で勝てた理由は大きく2つあります。
- 日本の軍隊の近代化
- 清のまとまりがない軍隊
1つずつ詳しく見ていきましょう。
日本の軍隊の近代化
日本は幕末から明治時代にかけて、イギリスやアメリカなどの外国の強さと高い技術力を見てきました。
そこで明治政府は、日本を強くしようと新しい政策を始めたのです。
- 富国強兵…外国の技術を取り入れながら装備や兵器の近代化に力を入れる
- 徴兵制…国民から兵隊を集め、国全体で軍隊を強化する
日本は国全体で時間をかけて軍隊を強化していたため、日清戦争が始まるころには十分な戦力を持つことができました。
日清戦争では日本初の国産銃である村田銃が使われ、戦争の結果に大きな影響を与えたようです。
清のまとまりがない軍隊
軍隊を整えることに力を入れていた日本とはちがい、清の軍隊はまとまりがありませんでした。
中には、訓練が途中の見習いの兵士もいたとか。
お金で雇った兵士や見習いも多かったため、戦場で軍隊をまとめるあげるのが難しい状態でした。
戦いが不利と感じたら、戦場から逃げ出してしまう兵士も多くいました。
軍隊のやる気が上がらないことも、日清戦争の勝敗の結果に影響したのです。
さらに、清の軍上層部の力不足によって、最新のパワーがある兵器や装備などを準備できずに日清戦争に突入しました。
日清戦争に勝利した後のようす
日清戦争に勝利した日本は清と下関条約を結び、台湾と遼東半島を獲得します。
しかし、ドイツ・フランス・ロシアは日本の朝鮮半島の獲得に不満を持ちました。
ヨーロッパの国々は清の土地を狙っていたので、日本に対して遼東半島の返還を要求します。
日本がドイツ・フランス・ロシアの3つの国から圧力をかけられた出来事は「三国干渉」と呼ばれています。
結果的に、日本がヨーロッパからの圧力に負けて、遼東半島を清に返すことが決まりました。
日清戦争を終えたばかりの日本には、外国からの要求を拒否するほどの力はなかったんだ。
三国干渉が起きた後、ロシアは東アジアの国々に対して影響力を広げていきます。
そんなロシアに日本は不満を感じるようになり、次に起こる日露戦争へとつながっていくのです。
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まとめ
今回は【日清戦争がいつ始まってなぜ勝てたのか】について解説しましたが、いかがだったでしょうか?
外国に比べて、力や技術に大きな差があった日本。
しかし、地道に努力し続けてきたからこそ、日清戦争に勝利できたことが分かりました。
本記事のように、歴史の中で起きたできごとの原因を調べていくと、新たな発見があるかもしれませんね。
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