フランス革命ってなに?子供向けにわかりやすく簡単に解説します!

ヨーロッパ大陸

フランス革命とは、今から約230年前のフランスで起きた大きな変化のことです。

革命前のフランスは王様がすべての決まりを作り、大きな力を持っていました。

しかし、フランス革命後は、国民みんなで話し合って物事を決める新しい時代に変わります。

今回はそんな【フランス革命を子供にも分かりやすく解説】します。

フランス革命がどんなできごとだったのか一緒に見ていきましょう!

フランス革命が起こる前のようす

まず、革命が起きる前のフランスがどんな国だったのかを解説します。

コト子
コト子

当時のフランスでは「王様」が大きな力を持っていて、国のルールはすべて王様が決めていたのです。

王様や貴族は金や宝石で飾られたお城に住み、毎日おいしいごちそうを食べていました。

一方で、農民や町で働く人たちはとても貧しくて、毎日のご飯を食べるのも大変…。

さらに、食べ物の値段が上がり、税金もどんどん高くなっていきました。

コト史
コト史

人々はどんなに苦しくても、王様の言うことには従わなければならず、逆らうことは許されません。

こうした厳しい生活が続く中で、だんだんと「こんな生活はもういやだ!もっと公平な社会にしたい!」という国民の不満高まっていったのです。

フランス革命のきっかけ

国民の厳しい生活が続く中で、「もう我慢できない、何とかしなければ!」という気持ちがあふれ出します。

そのような中で開かれた「国民議会」がフランス革命のきっかけになりました。

コト子
コト子

国民議会は王様だけでなく、国民も話し合いに参加できました。

この議会は「みんなで話し合って決めるべきだ!」という新しい考えを持つ人々が集まってできたものです。

最初は王様も国民議会を無視していましたが、国民の勢いは止まりませんでした。

フランス革命の主なできごと

フランス革命で起こった主なできごとついて、表にまとめました。

年月日 できごと
1789年7月14日 バスティーユ牢獄の襲撃
1789年8月26日 人権宣言の発表
1791年6月21日 国王一家の逃亡失敗
1792年9月21日 フランスが共和制になる
1793年1月21日 ルイ16世の処刑
1793年10月16日 マリー・アントワネットの処刑
1793年~1794年 恐怖政治
1794年7月28日 ロベスピエールの処刑
1799年 ナポレオンの台頭
コト史
コト史

1つずつ詳しく解説します。

バスティーユ牢獄の襲撃

フランス革命は、たくさんの人々が1789年7月14日に「バスティーユ牢獄ろうごくを襲ったことから始まりました。

コト子
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バスティーユ牢獄は王様に逆らったり、意見を言った人々が閉じ込められていた場所。

当時、パリのシンボル的な場所でした。

バスティーユ牢獄の襲撃はフランス革命での象徴とされ、現在のフランスではこの日を独立記念日として祝っています。

人権宣言の発表

バスティーユ牢獄襲撃の後、1789年8月26日に「人権宣言」を発表しました。

コト史
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人権宣言は、「すべての人は自由で平等であるべきだ」というもの。

つまり、誰もが同じ権利を持ち、みんなの意見を大切にする社会を作ろうとしたのです。

この考え方は、現在でも世界中で大切にされています。

フランス革命で作られた人権宣言はフランス国内にとどまらず、他の国々にも大きな影響を与えました。

それによって「みんなが平等であるべきだ」という考え方が世界中に広まり、定着していったのです。

国王一家の逃亡失敗

1791年6月21日、フランスの王様:ルイ16世とその家族は革命が怖くなり、国外に逃げようとしました。

コト子
コト子

しかし、逃げる途中で捕まってしまいます。

この事件で、王様に対する不信感がさらに強まりました。

王様が逃げようとしたことで、人々は「王様は私たちのことを本当に考えているのだろうか?」と疑問に思うようになりました。

新しい政治が誕生

フランスでは「王様のいる政治のやり方をやめよう!」という声がだんだんと強くなります。

そして、1792年9月21日に共和制きょうわせいという新しい政治の仕組みが始まりました。

コト史
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共和制とは、国民みんなで選んだ代表が国をまとめる制度のことです。

これにより、王様による政治は終わりました。

ルイ16世の処刑

1793年1月21日、捕まった王様ルイ16世は「国を裏切った」とされて裁判にかけられ、処刑されました。

コト子
コト子

ルイ16世の処刑は、王様の力が完全になくなったことを示すできごとになりました。

人々は「もう王様に頼らない!」と決意し、国の未来を自分たちで決めることにしました。

マリー・アントワネットの処刑

1793年10月16日、ルイ16世の妻:マリー・アントワネットも反革命的な行動をしたとされ、処刑されました。

コト史
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マリー・アントワネットは「パンが無ければおかしを食べればいいじゃない!」と言った人物です。

 

この言葉は、フランス革命前の時代に王族や貴族たちがどれだけ一般市民の生活に無関心だったかを示すエピソードとして広まりました。

マリー・アントワネットの処刑は、王室の終わりをさらに強く示すできごとでした。

恐怖政治

フランス革命を行ったうちの1人、ロベスピエールは「もっと徹底的に反対する人を取り締まろう!」と主張します。

それによって、多くの人を処刑する「恐怖政治」が始まりました。

コト子
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少しでも反対の意見を持つ人々が次々と処刑され、とても恐ろしい時代を迎えました。

ロベスピエールの処刑

恐怖政治のリーダー:ロベスピエールは仲間から反対され、1794年7月28日に処刑されることになりました。

コト史
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ロベスピエールがいなくなったことで、恐怖政治も終わりました。

ロベスピエールの処刑は、「どんなに強いリーダーでも、間違ったことをすれば終わりが来る」ということを示しています。

フランス革命の終わり

フランス革命の終わり、フランス国内はまだ混乱していましたが、ナポレオン・ボナパルトという強い軍人が登場したことで落ち着き始めます。

コト子
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ナポレオンは1799年に政府を支配するようになり、フランスの混乱を収めていきます。

多くの血を流したフランス革命でしたが、ナポレオンという新しいリーダーが誕生することで終わりを迎えるのでした。


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まとめ

今回は【フランス革命を子供にも分かりやすく解説】しましたが、いかがだったでしょうか?

フランス革命は、ただの昔のできごとではありません。

現代の私たちの生き方に深く関わる自由・平等などを示す考え方の元になったできごとです。

フランス革命の全体を深く知ることで、今ある自由や平等が当たり前ではないことに気づかされるでしょう。

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