信長の妹に生まれたお市の方の悲しい最期とは?壮絶な人生を解説!

安土桃山時代

戦国時代に天下統一を果たした織田信長は有名ですが、織田信長の妹であるお市の方おいちのかたも歴史を動かした人物です。

お市の方は戦国時代のさまざまな困難を乗り越えますが、悲しい最期を遂げることに…。

今回はそんな【お市の方の人生と悲しい最期】について解説します。

また、お市の方が残した娘たちの運命についても触れているので、ぜひ最後までお読みください。

信長の妹で有名なお市の方とは?

お市の方は、のちに天下統一を果たす戦国武将:織田信長の妹として生まれます。

コト史
コト史

兄の信長とは13歳離れていました。

お市の方の生い立ちについてはあまり資料が残されておらず、生まれた年や母親などもさまざまな説が残っています。

かなりの美人だったお市の方は37歳で亡くなりますが、その姿は20代前半の女性に見えたとか。

コト子
コト子

お市の方は美人なだけでなく頭の良い人でもあり、兄:信長からも信頼されていました。

お市の方と浅井長政の結婚生活

お市の方は20歳のときに戦国武将:浅井長政あさいながまさと結婚します。

このときの結婚は織田信長と浅井長政の同盟を目的とした政略結婚。

しかし、お市の方は浅井長政とのあいだに3人の娘を授かり、2人は仲の良い夫婦でした。

コト史
コト史

お市の方の娘である茶々ちゃちゃはつごうは「浅井3姉妹」と呼ばれ、歴史を大きく動かす存在になるんだ。

浅井長政との結婚生活で起きた大きな2つの事件を解説します。

(事件1)浅井長政による裏切り

同盟関係にあった織田信長と浅井長政でしたが、織田信長が朝倉義景あさくらよしかげを攻めたときに流れが変わります。

もともと朝倉家に恩があった浅井長政は、この戦いでどちらの側につくのか、究極の2択を迫られるのです。

最後に浅井長政が出した答えは織田信長を裏切り、朝倉側につくことでした。

朝倉の領内に向かって進軍する織田の軍を浅井長政は背後から攻撃します。

挟み撃ちにされた織田の軍でしたが、家臣である羽柴秀吉や明智光秀らの活躍もあり、難を逃れます。

コト子
コト子

このとき、お市の方は織田信長に贈り物をします。

その贈り物が浅井長政の裏切りを暗示していたのではと言われているのよ。

(事件2)浅井長政による信長包囲網

勢力を拡大する織田信長に対抗する形で、浅井長政や朝倉義景をはじめ多くの有力武将が兵を出します。

Bさん
Bさん

それはまさに信長包囲網とも言えるものでした。

この包囲網も織田の軍によって少しずつ切り崩され、浅井長政は徐々に追いつめられていきます。

織田勢の軍により城を包囲された浅井長政は、お市の方と3人の娘を城外へ逃がしたあとに自害しました。

コト史
コト史

信長の妹であるお市の方の立場を考えると、浅井長政の最期は心が苦しくなりますね。

2度目の結婚をしたお市の方

お市の方は柴田勝家しばたかついえと再婚しており、浅井3姉妹とともに北ノ庄城きたのしょうじょうで暮らすことになります。

本能寺の変で織田信長が亡くなってしまうと後継者争いが起こり、中心となったのが羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家でした。

やがて羽柴秀吉と柴田勝家の関係が悪化し、2人のあいだで「賤ヶ岳の戦い」が起こります。

柴田勝家の味方だった前田利家が秀吉側についたことで戦いの形成が大きく傾き、柴田勝家は負けてしまいました

コト子
コト子

お市の方は有力な武将と結婚しますが、2度も落城(敵に城を攻めとられること)を経験してしまうのです。

お市の方の最期と絶世の句

お市の方が過ごした最期の様子と、そのときに詠んだ絶世の句を解説します。

コト史
コト史

絶世の句とは、最期を迎える際にこの世に残す最後の句のことです。

夫婦で自害

羽柴秀吉の軍勢によって北ノ庄城が包囲されると、お市の方は3人の娘だけは生かそうと、娘たちを羽柴秀吉のもとに送ります。

柴田勝家はお市の方も一緒に逃がそうとしましたが、お市の方はその場に残りました。

コト史
コト史

お市の方は娘たちを守るため、羽柴秀吉にあてて娘の保護を求める手紙を書いているよ。

お市の方は柴田勝家や家臣と最後の宴会を開いたあと、天守にのぼり、夫婦で自害しました。

最期に詠んだ辞世の句

お市の方は亡くなる前に、以下の句を残しています。

「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の夢路をさそふほととぎすかな」

これは現代語にすると、「そうでなくても眠る暇すらないほど夏の夜は短いというのに、ホトトギスよ、この世との別れを急かすのですね」という意味になります。

コト子
コト子

お市の方の人生は波乱ばかりでしたが、自分の夫や娘に対する深い愛情を持っていたのが分かりますね。

残された3人の娘たち

浅井長政とお市の方のあいだに生まれ、北ノ庄城から逃がされた3人の娘たち。

この3人の娘たちは、戦国時代の世に大きな役割を果たします。

  • 茶々…豊臣秀吉の側室となり、子ども(のちの豊臣秀頼とよとみひでより)をもうける。秀吉が亡くなったあとには豊臣秀頼の後見人として茶々が豊臣家の政治を動かす。
  • 初…京極高次きょうごくたかつぐの正室となる。京極高次が亡くなったあとに出家し、豊臣家と徳川家の仲介役を任せられる。
  • 江…徳川家康の息子:徳川秀忠とくがわひでただと結婚し、のちに将軍の妻となる。「大坂の陣」では徳川家康と秀忠が豊臣家を滅ぼす。
コト子
コト子

お市の方が子どもたちを生かしたことにも、重要な意味があったんですね。


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まとめ

今回は、【お市の方の人生と悲しい最期】について解説していきました。

お市の方は強い武将のもとに嫁ぎますが、彼女の夫たちは兄:織田信長のように天下をとれずに終わってしまいます。

彼女の生涯を見ると、戦国時代は男性だけでなく女性も家族や自分の誇りを守るために戦っていたことが分かりました。

今回のように注目する人によって歴史の見え方が変わるので、興味がある人は他の偉人たちの人生をぜひ調べてみてくださいね。

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